テレビで「黒部の山賊」と題して雲の平山荘、三俣山荘、水晶小屋等を経営し、黒部源流の開拓に携わった伊藤正一さん(故人)やその子、圭さんがこだわった伊藤新道(三俣山荘から湯俣温泉に下る登山道)について放映していた。当時、資材の運搬、小屋関連の物資の運搬にはこの伊藤新道が欠かせない登山道であった。私も1966年8月この登山道を友達に連れられて、三俣山荘から湯俣温泉に下ったことがある。当時でも深い渓谷沿いに刻まれた登山道は崩れやすい急斜面に細々と刻まれており、注意深く進む必要があった。また流れの速い急流の渕をヘツリ、何本かのつり橋を渡って漸く湯俣温泉に辿り着くのである。この登山道を伊藤さんは自分達だけで切り開いた。しかし深いゴルジュの様なこの渓谷は、一たび大雨が降ると斜面は崩れ、濁流はつり橋を押し流し登山道を破壊してしまう。そんなことで伊藤新道は1973年数年で廃道になってしまった。この間に私たちは伊藤新道を通る事が出来たのである。長野県側からの最短ルートが断たれ、三俣山荘や、雲の平山荘等には岐阜県側からの入山者が多くなった。でも私としては北アルプス最奥の三俣山荘から湯俣に下る伊藤新道(他に野口五郎岳から湯俣に下る竹村新道もある)は忘れられない登山道なのである。数年前、三俣山荘を訪れた際、伊藤新道の修復に向け準備が進んでいることを知った。そして小屋締めの際は伊藤新道を使って下山していることも聞いた。何とか通行できる事を願ったのである。この放送では一番難所の第一つり橋の設置の様子が描かれていた。ただ、圭さんによると誰でも通れる登山道ではなく、沢の遡行も味わえ、自然と対話しながら辿れる道にしたいとの事であった。体力的な心配はあるが、再度辿ってみたい登山道である。伊藤新道の話はここで終わるがこの伊藤さん達とは多少因縁がある。2010年前後だったと思うが、水晶小屋を訪れた際、小屋にオシメが干してある。聞くと奥さんが子供連れで小屋番をしている由。子供に何かあったらどうするのだろうと心配になった。更に数年後、水晶小屋を訪れると親子は今、三俣山荘に移っているという。その後、読売新道に行く途中で三俣山荘に立ち寄った時、奥さんに昔、水晶小屋にいた旨を尋ねると、当時の事を懐かしく話してくれた。当日のオシメの子供は小学4年生で、圭さんと雲の平山荘に行っているとの事。さすが伊藤さんの孫であると思った。もう1つ伊藤さんにまつわる話をしたい。山小屋は環境省から土地を借りて運営しているが、従来一定の賃貸料であった。環境省は賃貸料を増やす為一定額でなく宿泊者の人数によって金額をスライドさせる方式に改めた。これに反発した伊藤さんは国を相手取り訴訟を起こした。当初伊藤さんに賛同した他の山小屋も二審、最高裁に進むにつれ離脱し、最後は伊藤さんだけになった。残念ながら裁判には負けたが、伊藤さんの信念の強さに感銘した。10回近く宿泊したり、通過したりした三俣山荘に愛着を覚え、又そこから見える鷲羽岳の中腹を縫うよう湯俣温泉に辿る旧伊藤新道の登山道の光景が目に焼き付いているのである。いろんな場所を歩いてきたが、一番印象に残る地域である。
現在の地図には伊藤新道のルートはない
三俣山荘と旧伊藤新道跡(白線の上)
別の角度から見た鷲羽岳中腹を辿る旧伊藤新道跡(白線の上)
1966年8月伊藤新道を湯俣温泉に下る (○印) 1966年8月湯俣から軌跡を七倉に下る