岩登り山行

地元(須坂)の山岳会に入った時、岩登りは興味がなかった。しかし同世代の仲間の影響は大きい。知らぬ間に、その仲間の影響を受け、岩登りにも活動の幅が広がってゆく。ゲレンデは長野の「物見岩」で車で40分ほど。会社を終わってから岩の途中で仲間とザイルで結びビバークしたことも。本番は数は多くないが、今考えると、貴重な体験をした。感じることは、気の合う中間とどれだけ熱中できるかである。東京へ出て来てからは谷川や北岳の岩場が舞台になった。70を超すとバランス感覚も低下してきており、本番に臨むチャンスはないだろう。

●前穂高北尾根四峰、北条・新村ルート(1972,10)

地元の岩場で訓練を積み、上高地の新村橋から奥又白池経由で岩場に取りついた。本ルートはグレード5級(上級)だった。この岩場の最大のポイントは途中にある2m程のオーバーハング(庇のように岩が張り出している)だ。しかもその下は数百mスパッと切れ落ちている。庇のハーケンの強度を確認しつつ、アブミ(縄ハシゴ)を架け替え、体重移動を繰り返し何とか乗り切った。でも意外と冷静で恐怖心はなかった。踏みだしたらザイルに命を託すしかないのだ。そして2人の息のあったプレーが不可欠だ。その上をハイマツテラスと呼び、ルートはここから北尾根四峰頂上に頂上する。そのまま北尾根を進み、前穂~吊尾根~奥穂を経由して涸沢から上高地に戻った。

核心部のオーバーハング、腰のハンマーの延長線上が鉛直

●志賀高原・幕岩(1975,11)

志賀高原には150m程の厳しい人口登攀壁が存在する。本番直前の練習場としてはうってつけで、夏場は何回か練習した。勿論垂直の為、ハーケンやアブミを頼りの登攀となる。雪のあることを承知で、3人で取りついた。天気が良かった事と何回か登っている自信もあり、正午頃ラッセルして岩場の下に到着。ところが雪でハーケンが見つけ難く、また3人のザイルワークは2人に比べ倍かかるため、遅々として進まない。下でザイルを確保していると、上からの雪を被って冷たい。確保しながらじっと垂直の壁に張り付いて、行動の出番を待っているのは本当に辛い。そうこうしているうちに、日は暮れ、寒気で手足手足の熱がどんどん奪われ、手足の自由が利かなくなる。暗くなると尚更登攀スピードは落ちる。でもようやく上部森林地帯に到達することができた。時計を見ると夜中の12時を回っていた。12時間垂直の壁に張り付いていた事になる。天気が安定していたのが幸いで、もし風でも吹かれたら3人の命はなかった。我が山登り人生で最大のピンチだったかもしれない。

●雲竜渓谷試登(1980,2)

日光雲竜渓谷の2月、年によって違うが全面結氷する。この年は氷壁クライミングの真似事をしようと訪れた。見事に凍っており、ザイルで確保しながら途中まで登った。専用バイルなど持ち合わせていなかったので、完登は勿論無理であったが、初歩の氷壁クライミングの真似事を体験することができた。この頃は袋田の滝や、丹沢の沖箱根の滝等も練習用として氷壁登りを楽しむゲレンデであった。

●谷川一ノ倉沢・中央稜(1984,10)

この年は所属している山岳会で谷川、一ノ倉で岩登り合宿をやろうという事になった。各々初めてのルートを選んで4パーテーで取り付いた。我々2人は中央稜に挑戦した。すでに南陵や第二ルンゼなど登っており、衝立岩のすぐ横の傾斜のキツイ稜線を登ってみたかった。傾斜はあったが、憧れの衝立岩や、コップ状岩壁を横目で見ながらの登攀は楽しかった。まだこの頃は岩登り人気は高く、有名ルートは順番待ちであった。衝立岩や、コップ状岩壁の様な人工登攀ではないが、一ノ倉のど真中を登っている感じだった。帰りは時間がなかったので北陵をアップザイレンで下降した。テント場で各ルート完登を祝して宴会だった。

●ジョウゴ沢(1985,2)

八ケ岳の赤岳鉱泉の奥にジョウゴ沢がある。遡行すると大小2つほどの滝がある。冬になると全面結氷し、アイスクライミングの対象となる。特に一番奥の大滝は庇が幾重にも重なり素晴らしい景観を呈している。何度か足を運んでいるうちに登ってみようとの機運が高まり、実行した。正面突破は流石に厳しく、左岸の岩沿いに何とか突破口を開いた。5人ほどだったので全員が登るのに時間がかかり、上で待っていると硫黄からの寒風が体の熱をどんどん奪って、アイスクライミングより、寒さが最大の印象に残った。この当時は丹沢の沖箱根沢の滝や、袋田の滝にも足を運び、アイスクライミングの真似事を楽しんだ。

●北岳バットレス第四尾根(1986,10)

谷川岳の次は北岳の岩場に挑戦した。まずは入門コースの第四尾根だ。これはバットレスの中央部に位置し、長大だが比較簡単なリッジである。ポイントはマッチ箱のコルと呼ばれる場所で、アップザイレンで1ピッチ程降りるが迫力がある。順番待ち後昼ごろ取り付いた。天気も良く富士山も綺麗に見え、快適な岩登りを期待した。しかし、マッチ箱のコルに到達した3時過ぎ、天候が急変し雪が降り始めた。マッチ箱のコルからは左からのルートも合流し、岩場は登攀を急ぐパーティで混乱した。細いリッジには何本かのザイルが錯綜した。順番を遵守しながら、慎重に登攀を終え、肩の小屋に辿りついた時は午後9時を回っていた。 

●越沢バットレス(1992,3)

青梅線鳩ノ巣駅から30分程の所に越沢バットレスがある。ここは本番に近い岩場で、アルプス等に行くときには日和田岩で訓練し、ここで仕上げをして本番に向かうのが不文律だった。最初の頃は登山靴で登っていたため、結構急な岩場で、右側のすべり台と呼ばれるルートはツルツルで大変だったが、途中から岩登り靴に代えたらフリクションが利き、簡単になった。ここでは日和田で見た顔が散見でき、みんな本番に向け頑張っているんだなとの意気込みが伝わってきた。頂上裏にはオーバーハング用の練習場もあり楽しんだ。

●源次郎尾根(2014,7)

剱岳、源次郎尾根の誘いがあったので参加した。たまたまこの時、友達と早月尾根経由で剱岳に登る計画があったので剱岳登頂後、剱沢で合流した。源次郎は比較的簡単な尾根なので人気が高く、取り付きには行列ができていた。ポイントは途中のアップザイレンでここを通過すれば3点確保で頂上に立てる。下山は、昨日と同じ尾根筋では面白くないので途中から平蔵谷を下降した。急で簡易アイゼンではきつかった。登山道を見上げると、パトロール隊員が我々の行動をずっと見守っていた。よほど危なっかしく見えたのだろう。今回2日続けて剱岳の頂上に立った事になる。