今まで撮りためた山岳写真の中から、季節に合った一枚を掲載してゆきます。 高齢化や天候条件等の理由で再び訪れる事のできない、厳しい山岳地域での貴重な一枚、思い出のワンショット、瞬間を待って撮った写真等もあります。過去の山行等を思い出しながら見て頂けると幸いです。
** (注)写真の掲載時期と撮影年とは必ずしも一致しておりません。**
◎2018年6月=夕日ケ岳登山道脇に咲くクリンソウ
日光周辺の夕日ケ岳に登る途中の登山道の脇に、素晴らしいクリンソウの群生地がある。湿地帯に咲くその群生は素晴らしいの一句である。群生地は2か所に分かれており、どちらも綺麗だ。今までクリンソウはいろいろ見てきたが、この近辺では最高だろう。
◎2018年7月=南アルプス、荒川小屋上のお花畑
南アルプス荒川三山を縦走して、荒川小屋に下る途中の斜面は南アルプス最大と言っていいお花畑が広がる。白や黄色の高山植物が登山道脇に咲き乱れ、まるで別天地である。しかし一時、鹿の食害にあい見る影もなかった。最近回復したようだが、昔の姿を取り戻してほしい。
◎2018年8月=北アルプス赤牛岳から黒部湖を望む
北アルプス裏銀座の水晶小屋から尾根を分かち、水晶岳~赤牛岳~読売新道の北アルプス最深の縦走コースは一度は踏破してみたい魅力の山域である。赤牛岳頂上から眺めると、眼下に黒四ダムを俯瞰し、ダムまで下る長大な縦走コースを見る事ができ、北ア最奥を実感できる。
◎2018年9月=北ア唐沢岳から見た槍~穂高連峰
槍、穂高連峰はどこから見ても素晴らしいが、雲海に浮かぶこの姿はまるで独立峰の様に見える。これは餓鬼岳から黒部峡谷に灯台の様に突き出した唐沢岳からの絶景である。中々行きずらい場所からの1ショットゆえ、希少価値がある。2回目に行った時は雲の中だった。
◎2018年10月=朝焼けの涸沢俯瞰
涸沢の紅葉は素晴らしい。それゆえ、10月のシーズンになると登山客が押し寄せ、山小屋は1畳3人の超過密状態のなる。この写真は早めに宿を出て、パノラマルートから涸沢をながめたものである。もう少したつと峰々に初冠雪があり、見事な三段紅葉となる。
◎2018年11月=笊ケ岳より見た聖、赤石、荒川三山
この写真は南アルプスの展望台と言われている、笊ケ岳から眺めた南アルプスの主要な連山である。眺めは素晴らしいが、ここに辿りつくまでが大変で、往復10時間以上かかる。朝焼けの写真を撮るにはテント持参が必要である。左より聖岳、赤石岳、荒川三山である。
◎2018年12月=北ア常念岳より見た槍~穂高連峰
北アルプス南部、槍穂高連峰の展望台は常念岳である。雪を戴いた山々は夏とは違った荘厳さがある。登山口の三股までは11月末日まで車で入ることが出来、とても便利である。勿論、蝶ケ岳にも登山が可能で、少し違った槍、穂高連峰を眺められる。
◎2019年1月=南アルプス北岳から見た間ノ岳~塩見岳
正月、北岳山頂から眺めた以南の山々である。雪を纏った間ノ岳迄の稜線、奥に兜に似た塩見岳が見える。北岳迄は夜叉神トンネルから一旦沢に降り、登り返して池山吊り尾根を辿る。長大な尾根のトレースが必要だが、見返りに授かる絶景は言葉に尽くしがたい。
◎2019年2月=八方尾根より見た五竜~鹿島槍ケ岳
八方尾根は吹雪かれると危険な尾根に変るが、晴天に恵まれると後立山連峰の眺めが素晴らしい。右に白馬三山、左には上の写真の様な五竜岳、鹿島槍ケ岳が鎮座している。唐松岳の山頂に立つと剱岳がドーンと存在感を示して聳えている。
◎2019年3月=編笠山より見た阿弥陀~赤岳~権現岳
残雪の南八ケ岳の山並みも素晴らしい。これらの展望台が西岳である。手前右にはギボシ、権現岳が、左奥には阿弥陀岳~硫黄岳~赤岳が見える。この季節登山道は氷結しており、刃先が鋭利なアイゼンが必要である。慎重に行動して欲しい。
◎2019年4月=北陸、猿ケ馬場より眺めた白山連峰
北陸には残雪しか登れないヤブ山の300名山が3個も存在する。その1つは猿ケ馬場山である。近くに野伏ケ岳や笈ケ岳もあり、ともに大変な山である。猿ケ馬場山からは分厚い雪化粧をした白山連峰が眺められる。これらを登らないと300名山を達成できない。
◎2019年5月=燕岳、春のテント村
5月の北アルプス燕山荘周辺には色とりどりのテントの花が咲く。ここから眺める槍穂高連峰の山並みは素晴らしい。更に足をのばして大天井岳から常念岳、蝶ケ岳方面に向かうと槍、穂高連峰の迫力が増大し、この上ない絶景を提供してくれる。
◎2019年6月=平治岳より見たミヤマキリシマと九重連山
6月の九重連山はミヤマキリシマに彩られる。特にその中心が平治岳で、山頂付近はミヤマキリシマ一色である。奥には九重連山が一望でき、坊ガツル、法華院温泉も見える。右より三俣山、硫黄山、九州の最高峰中岳が見える。
◎2019年7月=赤牛岳から見た水晶岳、後方は槍ケ岳~穂高岳
北アルプス、裏銀座の縦走コースより少し外れたところに水晶岳(別名、黒岳)があり、ここから赤牛岳を経由して北アルプス最奥の読売新道縦走コースが黒部ダムまで延びている。昔この山頂で水晶を拾った記憶があり、水晶の取れる山としてこの名がついた。
◎2019年8月=間ノ岳~見た北岳と甲斐駒ケ岳
南アルプスのが北岳から中白根山を経由して間ノ岳に至る稜線はすべて3000mを越す天空の縦走路である。大した危険もないので是非踏破して頂きたい。途中の北岳山荘は黒川紀章の設計によるものである。又北岳から山荘に向かう斜面のお花畑は素晴らしい。
◎2019年9月=奥穂岳から見た涸沢岳~槍ケ岳と裏銀座の山々
秋晴れの朝、穂高岳山荘から奥穂高岳に登る途中、振り返ると槍ケ岳や後方の山々が綺麗に見えた。東斜面には陽が当たり、反対側は影となって陰影が綺麗だ。稜線の中に登山者の影を発見して夢中でシャーターを切った。
◎2019年10月=那須,朝日岳の紅葉
紅葉の名所は全国にあまたあるが、那須の「中の大倉尾根」から見た朝日岳の紅葉は又格別である。赤系の紅葉に笹の緑が相まって、コントラストを引き立ててくれる。しかしこの絶景は限られており、機を逸すると見られない。
◎2019年11月=笊ケ岳から見た、左聖岳、右赤石岳
笊ケ岳から見た南アルプスの盟主赤石岳と聖岳である。朝の景色を撮影するには布引山の鞍部にテン泊する必要があり、重い荷を担いでの急坂の登行はきつい。でもご褒美に素晴らしい絶景が見られ、苦労が報われる。
◎2019年12月=権現岳より見た南八ケ岳主峰群
初冠雪の雪山は美しい。毎年行われる八ケ岳、青年小屋の小屋閉めに合わせて権現岳から取った南八ケ岳、主峰の阿弥陀岳、硫黄岳、赤岳の写真である。権現岳に行くには途中ギボシの岩場がり、アイゼン等の準備が必要である。
◎2020年1月=竜ケ岳より見たダイヤモンド富士山
富士五湖、竜ケ岳のダイヤモンド富士は有名である。丁度正月このような光景に出会う事が出来、本栖湖周辺も含め、見物客が押し寄せる。しかし、気象条件は限られるため、天気予報をチェックしてから行こう。山頂についたら急に雲が湧き涙をのんだことも。
◎2020年2月=谷川岳、天神尾根より見た俎嵓山稜
谷川岳の雪景色は素晴しい。しかし、天候条件がマッチして絶景が見られるのはおおむね30%前後である。谷川岳自体も素晴らしいが、登ってゆく途中で左側に衝立の様に聳える俎倉の絶壁も素晴らしい。夏道はなく、冬場限られた人のみ稜線を踏破できる。
◎2020年3月=木曽駒ケ岳より空木岳方面を望む
中央アルプス木曽駒ケ岳に登って帰り、アルプスを越えて行く鳥の群れに出会った。慌ててシャターを切った。話ではヒマラヤ越えの鳥の話など聞いた事はあるは、この目で見たのは初めてであった。鳥の身体能力の高さに脱帽である。
◎2020年4月=奥穂登山道より見た涸沢岳、北穂、槍ケ岳
ちょっと古い写真であるが、春奥穂に登って時、涸沢岳から北穂、槍ケ岳が綺麗だった。この当時写真機は大きく重い、ゼンザブリニカであった。今考えると、あんなカメラをよく持ち上げたものだと感心する。若いという事は素晴らしい。
◎2020年5月=大正池から見た穂高連峰
上高地から眺める穂高連峰も素晴らしい。春夏秋冬いつでも、絵になる。特に雪のある季節はコントラストが映え見事だ。特に大正池から見ると前景の池と穂高連峰がマッチして独特の雰囲気を醸し出してくれる。湖面が凍る冬場も良い。
◎2020年6月=羊蹄山の斜面に咲くシラネアオイ
世界で一種のみ、日本固有の高山植物シラネアオイである。日本全国でみられるが、これは高山植物の垂直分布で知られる北海道羊蹄山に咲いている姿である。しかし、発見され名前が付いた日光白根山のシラネアオイは食害出見る影もない。
◎2020年7月=鹿島槍ケ岳から見た立山、釼連峰
鹿島槍ケ岳の頂上に立って、西方面をながめると立山、剱岳方面が綺麗に見える。左より雄山(3003)、大汝山(3015)、富士ノ折立(2999)、真砂岳(2861)、別山(2880)、剱御前(2777)、剱岳(2999)、三ノ窓雪渓、小窓雪渓である。特に両雪渓は日本初の氷河と認定されています。
◎2020年8月=八方尾根から見た白馬三山
8月になると白馬三山の雪も殆ど消え、荒涼とした岩稜帯が姿を現す。最もポピュラーな白馬大雪渓~白馬岳~白馬鑓温泉の1泊2日の白馬縦走も佳境を迎える。途中の白馬鑓温泉の露天風呂で疲れを癒すのもオツなものだ。写真は左より白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳である。
◎2020年9月=鏡池に映る戸隠連峰
戸隠神社中社から1時間程の所に鏡池がある。ここは戸隠連峰の眺めが抜群で池面には逆さ戸隠連峰も見られる。蟻の戸渡を過ぎ、中央のピークがが八方睨みで右へ行くと表山縦走コース、左に行くと点線ルートの西岳縦走コース(中央の鋭鋒が本院岳)である。
◎2020年10月=栗駒山山麓の紅葉
栗駒山に登って須川温泉に下る途中の名残ケ原周辺の紅葉は見事である。山麓一帯が赤、黄、緑の刺繍が施された絨毯の様な造形である。栗駒山に登らなくても右上に見える須川温泉の駐車場から登山道を少し登ればこの光景に出会える。
◎2020年11月=穂高連峰全景
普通穂高連峰は上部の写真が主流であるが、蝶ケ岳に登って穂高連峰を眺めると下に梓川の流れを俯瞰したその全貌を眺望することが出来る。この景色は蝶ケ岳のみ味わうことが出来る。蝶ケ岳の東側の登山口の三股は11月末まで車の乗り入れが可能で、初冬の穂高連峰の撮影には好都合である。
◎2020年12月=巻機山(ニセ巻機)
日本有数の豪雪地帯である新潟県巻機山周辺。今まで厳冬期に2回、頂上のアタックを試みるも到達していない。この時は何とか正面に見えるニセ巻機迄ラッセルを進めたが頂上は遥か彼方出あった。その後再度アタックを試みたが、悪天候と小人数の腰までラッセルで写真を撮ったところ位までしか行けなかった。
◎2021年1月=モルゲンロートの明神岳
この年の年末3人で上高地から霞沢岳を目指した。しかし尾根筋の雪は深く、腰までのラッセルを強いられた。1日かけて徳本峠まで辿りつくのが精一杯であった。霞沢岳は遥か彼方で日程的に無理と分かり、止む無く撤退を決意した。徳本峠から見た明神岳のモルゲンロートが印象的だった。次の年、今度は夏道は無いが距離が短い西尾根経由で再度挑戦し雪辱を果たした。
◎2021年2月=浅間山残雪
20年程前、2月に浅間山の黒斑岳の登った。頂上直下での浅間山の残雪が綺麗であった。山頂からは噴煙が上がり、残雪が頂上から放射線上に伸びる溝に残りコントラストが素晴しかった。又画面の左には頂上を目指す登山客の姿も確認できる。このように条件が揃った山岳写真はマレである。
◎2021年3月=春を告げるミツマタの花
以前、丹沢湖よりミツバ岳~権現山に縦走してミツマタの花を見に行った。冬枯れの尾根筋で他に先駆けて咲くミツマタの花がとても綺麗だあった。しかも前日季節外れの雪が降り、花の上に薄く積もり、とても風情を感じさせてくれた。ミツマタの群生はあちこちにあるが、近間で見れるので是非実感して欲しい。
◎2021年4月=春山、霞沢岳アタック
上高地の霞沢岳は一般的には徳本峠よりの東尾根を登るが、雪のある季節のみ夏道は無いが大正池近くに張り出す西尾根からアタック可能である。この日の前日猛烈な雨に降られ、尾根に張ったテントの中では衣料の乾燥に追われた。でも当日は快晴に恵まれ春山を楽しんだ。正月も同ルートで登頂したが腰までラッセルラッセルで難儀した。
◎2021年5月=剱沢から見た剱岳
5月の連休に剱岳の写真を撮りに剱沢に入った。小屋は準備中だったが、朝焼けの剱岳を撮りたいと何とか頼み込んで素泊まりで潜り込んだ。朝、剱岳を眺めると2人の登山者が稜線に見えた。小屋の人からは剱岳の単独行は自粛するよう言われていたが、俄然登頂意欲に火が付いた。早速準備をして後を追う。厳しかったのは前剱の50度近い雪壁(写真左上)。先行パーティはザイルを使っていたがピッケルとデッパの爪で何とか乗り切る。長い稜線の先には誰もいない山頂が静かに待っていた。立山方面がまるでヨーロッパアルプスの様に輝いていた。
※今日の話題※ 2021年5月26日:「スーパームーン皆既月食」
スーパームーン(月が通常より10%程大きく見える)皆既月食を写真に収めるべく、手賀沼に6時頃より陣どり2時間程その時を待ったが、雲の中から月が顔を出すことは無かった。東京もダメの様だった。銚子方面まで行けばよかった?!
◎2021年6月=鳳凰三山,地蔵岳,賽の河原から見た甲斐駒ケ岳
オベリスクで有名な鳳凰三山,地蔵岳の手前ある賽の河原、南アルプス甲斐駒ケ岳をバックに並ぶ数十体の地蔵像が印象的である。賽の河原と地蔵像の組み合わせは亡き人への供養の様に思われるが実は真逆で、200年以上も前から「子授け地蔵」の風習の名残りだという。子供が欲しい夫婦がここから地蔵を一体持ち帰り、子供が授かったら二体をお返しすれば子供は健やかに育つのだという。でも花崗岩この仏像一体20㎏位あるといわれ、強い意志で必死に登って来たのだろう。しかし花崗岩は風化が激しいので地元の山岳会が補填をしているという。
※今日の話題※ 2021年6月6日:「小生の誕生日」
年を取ると「1日の時間経過は長いが、1年の時間経過は短い」と言われるがそれを実感している最近である。更にコロナ禍での縛りによって、この傾向は助長されている。喜寿を控えて何をすべきか考えてみたい。
※今日の話題※ 2021年6月17日:「コロナワクチン接種完了」
コロナに打ち勝つ最大の防御策であるワクチンの2回接種を無事終えた。少し時間が経つと抗体ができ、今までより安心して出かける事ができる。でもまだ首都圏を中心に外出規制が続いている。規制により入山できない山は笠取山、天上山等がある。これを含め関東百名山は6座残っている。
◎2021年7月=火打山と高谷池の高層湿原
火打山は新潟県頚城山塊の最高峰であると同時に新潟県の最高峰でもある。登山口の笹ケ峰から登る事3時間余り、高谷池ヒュッテを越えると見事な高谷池の高層湿原が現れる。その奥に鎮座する火打山は「日本百名山」「花の百名山」で堂々として威厳がある。高谷池の周辺には花の季節ワタスゲ、ハクサンコザクラ、イワイチョウ、サンカヨウ、ハクサンチドリ等の見事なお花畑が広がり、疲れを癒してくれる。
※今日の話題※ 2021年7月16日:アフリカ「ザンビア」と交信
夏場のアマチュア無線はコンデションがあまり良くない。しかし夜半過ぎ14Mhz帯の電信でCQを出しているザンビア局がいたので応答したところ交信できた。ザンビアはアフリカの中央部に位置し、時差は8時間程。住いは首都のLUSAKAで名前はBRIANという。ノイズが多く当局の信号が弱かった為、短時間の交信であった。当局の住所はNR(near) TOKYO、名前はKOUと打電した。交信は両国間が夜のエリアの方が電離層の関係で届き易い。
※今日の話題※ 2021年7月9日:「青梅の加工終了」
今年収穫した青梅の加工を終了した。6割程をカリカリ梅に、残りを梅ジャムにした。カリカリ梅は年中食卓に並ぶ。朝食はパンが多いので、梅ジャムはリンゴジャムと合わせてパンに塗ると酸味が効いて美味しく、これまた1年中食べている。
◎2021年8月=吾妻連峰、大滝沢遡行
8年程前、夏山合宿を吾妻連峰で行った。我々は一日目、大滝沢の遡行に挑んだ。この沢には有名な大滝があるが、遡行は不可能なので高巻いた。その後、滝は連なるが、その内の1つを登っている写真である。下部のしぶきはきつかったが沢登りを堪能する事が出来た。下山後、滑川温泉で疲れを癒した。ここの湯は混浴であったが、女性が入ってくると男性陣はたじたじであった。合宿及び大滝に関しては登山記録(2013,8,25)参照
※今日の話題※ 2021年8月23日:倒れた桐の大木の撤去
◎前述したが先の台風9号で桐の大木が倒れ他人のリンゴ畑に被害を及ぼした。その撤去作業に立ち会った。大型クレーン車が出動し、林業関係者6人程が作業にあたった。半日ほどで終了したが、リンゴ畑への補償も含めウン十万の出費であった。
◎2021年9月=奥穂高岳、ジャンダルム
西穂高岳から奥穂高岳への縦走は、多少危険を伴うが登山経験者であれば一度は果たしたい夢の縦走路である。そして縦走路の終盤、奥穂高岳に近づくと、ひときわ存在感を増して立ちはだかるのが、直立して奥穂高岳を守るジャンダルム(前衛峰=フランス語)である。奥穂高の頂上から見てもその山容は素晴らしいが、真近で見るとその迫力に圧倒される。ここは6回程通っているは、綺麗な秋晴れになったのは珍しい。写真は奥穂高側から見たジャンダルムである。正面からも登れない事は無いが、裏側に比較的容易に登れる登山道があり、登頂できる。
*今日の話題* 中秋の名月 9月20日
本来「中秋の名月は」は9月21日であるが、明日の天気は曇り予想の為、ほぼ満月に近い今日、手賀沼で月の撮影を行った。5月、スーパームーンと皆既月食の絶好のチャンスを捕えようと手賀沼に行ったが、曇り空で空振りに終わった。今回雪辱を期して臨んだ。月の姿を捕えようと高価なレンズを購入し、初使いとなった。まずまずの成果であった。
◎2021年10月=丹沢、塔ノ岳の夕焼けと鹿
丹沢塔ノ岳(尊仏山荘)に登った際、富士山の奥に沈む夕日が素晴しかった。カメラを構えているとひょっこり鹿が現れた。これは鹿が前景に入ると絵になると思い、待つこと10分程。鹿がこちらを向いたのでシャッターを切った。これは剥製ではなく、れっきとした生きた鹿である。本当に一瞬のホーズで簡単には遭遇することのできない貴重な一枚となった。鹿に感謝したい。
◎2021年11月=カラパタールから見たエベレスト
十数年前、会社をリタイアしてまず目指したのがネパールヒマラヤトレッキングであった。日数が20日近く掛かるため、現役では無理であった。このトレッキングを通じて、日本では見られない雄大な山群に接し、目を見張った。カラパタールは5545mの高地にもかかわらず、そこまでの登山道には雪が殆どく、又エベレストのBCはすぐ近くだ。11月頃がトレッキングの適期で、そこから見るエベレストの神秘的な美しさを生涯忘れる事はない。
◎2021年12月=朝日に輝く八ケ岳赤岳
積雪期の八ケ岳、赤岳には何回も通った。行者小屋のテンバから見た赤岳が朝日に輝いてとても綺麗であった。この年は正月の穂高岳を涸沢岳西尾根経由で目指す最終トレーニングでもあった。3人で赤岳南稜リッジ(右から2番目の尾根)に取りついた。結構な痩せ尾根で、ザイルの支点を取るのに苦労した。尾根を登りきると赤岳山頂に到達して良い訓練になった。八ケ岳の岩場は脆く、登攀できるのは冬季の限られた時期だけである。
◎2022年1月=三伏峠より見た南アルプス塩見岳
以前、南アルプス塩見岳の写真を撮りに三伏峠へ単独で登った。この時期の南アルプスは比較的雪が少なく、登山口の塩川小屋迄車で入れた。そこから夏道沿いに三伏峠を目指した。しかし三伏峠近くになると、積雪は膝上まで達しラッセルに難渋した。三伏峠の冬季小屋に入って宿したが、分厚い厳冬期用のシュラフでも寒さは防げず、余り眠る事が出来なかった。翌朝、塩見岳を目指してみたが、稜線上の雪は太腿まで達し、三伏山までしか進めず、登頂を諦め引き返した。しかし快晴で誰もいない厳冬期の三伏山で、塩見岳や周辺の南アルプスの大展望を独り占めで満喫できた。
※今日の話題※ 2022年1月6日(PM4):久しぶりの大雪
◎2022年2月=鹿島槍スキー場から見た鹿島槍ケ岳
鹿島槍ケ岳は好きな山の最右翼である。厳冬期3回を含めトータル12回程の登頂記録がある。見る角度によりその代名詞でもある双耳峰の山容は大きく異なり、別の山を連想させる時もある。爺ケ岳~鹿島槍ケ岳~五竜岳に、又逆コース、更には厳冬期の定番、正面突破の赤岩尾根コース。そのテントサイト、高千穂平から見る鹿島槍ケ岳は安易に人を寄せつけない荘厳さを感じる。後年、正月を避けて1月末3人でアタックを試みたが、胸まで埋まる深雪のラッセルを必死で繰り返したが、2日かけても高千穂平まで到達できず敗退した思い出がある。
◎2022年3月=登山口より見た、伊豆大島三原山
アルプスの山々もいいが、たまには島の山も行ってみようとの話が出て、椿祭りに合わせて大島の三原山に登った。三原山は結構な頻度で噴火を繰り返しており、我々が行った時にも前回の溶岩流の後が生々しく残っていた。あまり際立った印象ではないが、太古から続く地球の造山活動の瞬間を見た感じがした。それとは別に椿祭りの綺麗なお嬢さん方との出会いも楽しかった。山の魅力も全方位で楽しみたい。
◎2022年4月=中アルプス宝剣山荘より見た三ノ沢岳
三ノ沢岳は木曽駒ケ岳~空木岳への中央アルプス主稜線縦走路から外れ、西に延びる支稜線の先に純白のベールを纏い孤高に聳えている。普段は主稜線から登頂に往復5時間以上かかる為訪れる登山客は少ない。しかし、7月に雪が融けるとその登山道脇には素晴らしい高山植物のお花畑が出現し、花の百名山にも選定されている。花好きな女性登山客には人気があり、シーズンになるとこの山だけを目的に訪れる登山客も少なくない。
◎2022年5月= 富士山頂上直下を登る登山客
5月の連休に富士山に登った時のスナップである。頂上直下を6人の登山客がロープで繋いで登っているが、春山のみ許される行為である。厳冬期は雪面は青氷化しており、12本アイゼンもほんの少ししか効かない。登りはまだ良いが下りのこの傾斜は滅茶怖い。慎重に慎重にジグザグに下った経験がある。勿論ロープ確保のこの行動は自殺行為である。1人が滑落すれば制動が効かず数珠繋ぎで下まで滑り落ちる。自分の命は自分の技術で対応するが原則である。聞いた話によると下まで落ちると体の半分くらいが削られてしまうとか!本当かな?
◎2022年6月=奥秩父、金峰山と南アルプス北部の山
金峰山は一般的には瑞牆山荘方面から登るが、自家用車を利用すれば反対側の大弛峠から登るのが一番早く、2時間半ほどで登頂できる。登山道は樹林帯の中の尾根道で、写真は途中の朝日岳から見た金峰山である。尾根の左が鉄山で奥の南アルプスは、左から白峰三山~仙丈ケ岳~甲斐駒ケ岳と続く。金峰山はどっしりとして奥秩父の盟主にふさわしく、山頂には甲府盆地を挟んで鳳凰三山地蔵岳のオベリスクに対峙するような特徴的な五丈岩がある。もともと信仰の山でかっては五丈岩の下にヒノキ造りの籠り堂があり、30人程が泊まれたという。しかし明治42年焼失した。
*今月の話題
●寄る年波には勝てず小生、喜寿を迎えてしまいました。長い様で短い歳月の流れでした。どこまで楽しい人生を過ごす事ができるか?神のみの知る領域への突入です。
◎2022年7月=岩場に咲くシロバナタカネビランジ
南アルプスの縦走路に多くみられるタカネビランジは一般的には紅紫色だが白色種も見られる。岩場に咲くタカネビランジの群生は縦走中疲れた体力、気力を蘇らせてくれる。シロバナタカネビランジの花は清楚で派手さは無いが、葉の緑と共に岩場に溶け込み独特な存在感を発揮している。生息地は南アルプスの他、鳳凰三山、白山でも確認されたいる。特に雨上がりの縦走路では、遠くから目を引く高山植物である。
◎2022年8月=鏡池(鏡平山荘)から見た槍穂高連峰
北アルプス南部の入山口、新穂高温泉から1泊目に多く利用される鏡平山荘。笠ケ岳へ、裏銀座縦走路へと道は続く。写真を撮った前日、猛烈な雨で渡渉する橋に小屋の従業員が警護についていた。一夜明けると素晴らしい日本晴れになっていた。早朝、鏡池越しに見える槍、穂高連峰のシルエットは素晴らしいの一語に尽きる。上高地から見る景色が左右入れ替わった姿も又、趣がある。この後、我々は裏銀座縦走路から水晶岳~赤牛岳を経て黒部湖に抜ける秘境の読売新道に向かった。
◎2022年9月=聖平小屋付近から見た南アルプス聖岳
南アルプスを代表する山の1つである聖岳、独特な屋根型のフォルムが印象的である。私はこの山が好きで春夏秋冬12回程登っている。夏秋は南アルプスの奥深い雄大な自然の中、穏やかで楽しい登山を楽しめるが、厳冬期はアイゼンの歯だけが頼りの厳しい登攀が強いられる。春、雪の聖沢に迷い込み、大滝の先端に出て進退窮まったが、過去の聖沢遡行の記憶がよみがえり、九死に一生を得たこともある(「思い出の山行」⇒春山山行⇒南アルプス南部縦走)。山小屋もしっかりしており、赤石岳方面、光岳方面からの縦走も楽しい。是非味わって欲しい。
◎ 2022年10月= 紅葉の御神楽岳
急峻な岩壁が有名で、下越(新潟県北東部)の谷川岳と称されている御神楽岳。一般登山道から見る山容は「錦を纏った紅葉」の例えの如く、とっておきな景観を提供してくれる極、普通の山である。一般的に紅葉は新潟から東北地方にかけてその鮮やかさを増す。1回目に登った時は霧で何も見えなかった。紅葉が綺麗との情報をもとに天候を見計らって再挑戦した。その名の通り赤、橙、黄色等、広葉樹の紅葉に緑の針葉樹がアクセントとなって素晴らしい。この斜面の反対側が急激に落ち込んだ岩壁群をなし、上越の谷川岳に並び称されるクライマーの殿堂である。岩壁を堪能するには点線ルートを登る必要があり、それなりの心構えが必要である。
2022年11月=カラパタールトレッキング
会社を退職してまず行きたかったのが、ネパールトレッキングであった。そして世界最高峰のエベレストを近くで見たかった。数あるルートの中からカラパタールを選んだ。19日と少し長い旅であったが、異文化に触れ、ヤクとすれ違い、日本と次元の異なる巨大な山塊に接しながら、エベレスト街道を進んだ。途中、高所トレーニングをしながら最後に5545mから見る、急峻に聳えるエベレストを仰ぎ見た時の感動は、一生忘れる事が出来ない。殆ど快晴に恵まれ、移りつく絶景を見ながらのトレッキングは珠玉のひと時であった。
※今日の話題※
🔴未曽有の天体ショー(2022,11,8)
今日は特別な天体ショーの日であった。皆既月食と天王星の食が同時に起こるらしい。しかもこの現象は443年振りだとか。そして同じような現象は300年以上経たないと見る事が出来ないという。夜中出かける用事があったが、無理をしてこの天体ショーをカメラに収めようと思った。運よく2階の窓から撮影する事が出来た。天王星は6等星であるがその瞬間を撮影することが出来て感激した。1200mmの望遠で撮影しいると月が画面の中心から分単位でずれてしまう。
2022年12月=雪煙舞う八ケ岳、赤岳
八ケ岳の赤岳には冬場何回も登っている。この年の暮れに赤岳に登った時、冬型の季節配置で風が強い予報であった。でも平地ではさほど風は吹いておらず、又中腹の登山道でも風は強くなかった為に登山を続けた。しかし標高を増すにつれ風の勢いは強まり、頂上では雪粒が頬に当たって痛かった。地蔵尾根に下る稜線では時折起こる突風に耐風姿勢を取りながら、やっと赤岳展望荘まで下りてきた。振り返ると雪煙が赤岳の半分を覆い、厳冬期ならではの光景を映し出していた。赤岳は四季それぞれ違った表情を見せてくれるが、冬山登山の厳しさを感じさせられた1日であり貴重な経験をした。
2023年1月=厳冬期の槍、穂高連峰
前々から正月の槍、穂高連峰の写真を撮りたいと思っていた。この年仲間が現れたので実行に移した。中房温泉までは冬期間車の通行ができないので、12kⅿの舗装道路を重いテント装備一式を背負って歩き、合戦小屋でテントを張った。翌日快晴、燕岳を横目で見ながら人影のない表銀座縦走路の凍てつく稜線を、黙々と機材一式を大天井岳まで持ちあげた。目の前に現れたのは、雲一つ無く透き通る青空をバックに純白の衣を纏った、槍穂高連峰の荘厳で神秘的とも言える圧倒的な迫力の山群であった。一生に一度の貴重な体験をし、これが糧となり5月の単独表銀座縦走に繋がってゆくのである。
2023年2月=八ケ岳、ジョウゴ沢大滝
八ケ岳と言えば稜線歩きが主流であるが、冬は夏場脆い岩壁も氷で締まって登りの対象になる。赤岳鉱泉の横を流れる北沢の源流にあるジョウゴ沢は代表的な大きな滝を持つ沢の1つである。最奥の大滝は見学の対象で登る人はいないが、登ってみたい衝動に駆られるようになった。正面は庇の様に張り出し突破は無理なので、右側の岩壁との間を慎重に登った。当時、本格的な氷壁登攀の装備など持っていなかったので、登りきるのが大変だった。5人程の仲間と一緒だったので、登り終えて滝の上で仲間を待っている間、非常に寒く震えていた記憶がある。登り終えた後は硫黄岳の稜線に出て、赤岳鉱泉に戻った。
2023年3月=南アルプスのパノラマ写真
本格的な冬山に行くのが辛くなってきてから、雪を戴いた北アルプス、南アルプス、中央アルプスのパノラマ写真を追いかける様になった。まず登場するのが南アルプスである。撮影場所は駒ケ根の千畳敷カールだ。ここは積雪期でも交通の便に恵まれ、特にケーブルカーの終着駅周辺は絶好の撮影ポイントである。左から甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、白峰三山、奥に富士山が顔を出し、塩見岳から赤石岳、聖岳と続く。こから見える稜線や山頂は全て踏破しているが、一線上に見渡せると各峰を登頂した当時の思い出が走馬灯の様に頭をよぎる。ここからは富士山を筆頭に日本標高ベスト10の内5山を見る事が出来る。
2023年4月=マレーシア、キナバル山
今月はマレーシアの最高峰で、東南アジアの最高峰でもあるキナバル山(4095m)である。その名は以前から聞いていたが、登るチャンスが無かった。台湾の最高峰玉山に登ったし、直近の目標は東南アシアの最高峰を制することであった。キナバル山の登山に関しては国が管理しており、登山道や宿泊施設は整備されていた。途中の植物も熱帯特有な物が多かった。頂上は大きな岩盤で出来ており、登山道は特になく適当に岩の上を渡り歩いて頂上に達する。一列縦隊で歩く日本の山とは大きく異なる。頂上付近には奇岩が林立し、別世界の様であった。現地人の他ヨーロッパ系の登山客も多かった。山はボルネオ島にあるが、国はマレーシアである。麓の集落や山小屋で異文化に接し最終日、海で戯れて帰った。
2023年5月=北ア表銀座、残雪期単独縦走
この頃、単独行にも芽生え、冬は無理だが、春なら可能性があるとの判断から夏日程で表銀座に挑戦した。しかし春を甘く見てはいけない。大天井岳の夏道トラバースは使えず、頂上経由での行軍に。西岳までの稜線はナイフリッジで踏跡なし。西岳に着く頃には疲労が大分蓄積した。東鎌尾根にアタックを開始したが披露困憊。水俣乗越から槍沢に下ろうとも思ったが、先行する3人を発見。何とか追いつこうと最後の力を振り絞る。当初計画では槍ケ岳、肩の小屋まで行く予定であったが、途中の殺生小屋で力尽きた。殺生小屋の主人に単独で燕から来たと告げると呆れていた。夜半から大荒れとなり朝になっても視界が殆どない。槍登頂を諦め、頭に入っている槍沢の登山道を頭でトレースしながら無事下山した。
2023年6月=残雪期の十勝岳
十勝岳は白金温泉をベースに何回か登った。日本アルプスには見られない雄大な裾野を持った山容が素晴しい。又富良野から眺める残雪の大雪山系も印象的である。下山後の白金温泉は格別である。隣にあるトムラウシ山も数回登っているが、その間の縦走が出来なかったのが残念である。北海道の日本三百名山では登るのに時間がかかる幾つもの山があり、又登山道が無く川を遡行するしかない山もある。その代表格がカムイエクウチカウシで登りにくい山の最右翼である。他にオプタテシケ山、ニペソツ山、石狩岳などある。又ヒグマと20m程の近距離で出くわし、体が硬直したがヒグマが逃げてくれて安堵した記憶もある。総じて北海道の山は長時間の歩行の末辿り着いた峰が沢山有り制覇には難儀した。
2023年7月=蓮華岳のコマクサ大群落
針ノ木雪渓を挟んで針ノ木岳の横に対峙しているのが蓮華岳である。女性的ななだらかな山容である。普通は両山セット登る事が多いが、時間に余裕がある場合は船窪小屋~烏帽子方面に足を伸ばすと、登山客は少ないがいろんな絶景に出会うことが出来る。その1つが本写真で蓮華岳から北葛岳に下る通称、蓮華の大下りと呼ばれる場所で、槍ケ岳をバックに砂礫の斜面に咲くコマクサが素晴しい。私もコマクサの群生を大雪山系や岩手山、燕岳等で見てきたが、これだけコマクサだけが広範囲に咲く絶景は他に類がない。コマクサは種から花が咲くまでに5年以上かかると言われ、更の根は1m近くに達するという。まさに「高山植物の女王」である。この斜面には白いコマクサの花もある
2023年8月=黒部源流、赤木沢遡行
沢遡行の醍醐味はいろいろあるが、北アルプス黒部川源流の赤木沢は「美しい谷」の形容がぴったりである。太郎平小屋から薬師沢小屋へ下り、黒部川にかかる吊橋から河原に降り、赤木沢出合いまで一時間。沢が合流する、水辺には岩魚が沢山いた。アイゼンで踏めば捕獲できるくらいだ。最初のナメ滝から大滝まであまり苦労せずに登れる。感動するのは滝をはじめ周囲の景観の造形美だ。瀬で光を反射し、淵で緑を写す。岩と水と木々の緑が素晴しい調和を見せる。源頭からは黒部五郎岳の稜線まで続く素晴らしいお花畑の中、踏み跡が無い為「お花さんごめんなさい」と言いながら高山植物の絨毯の上を軽やかな気分で稜線に達し、黒部五郎岳を目指した。
◎伊藤新道40年ぶりの開通(朝日新聞2023,8,16)
昨日の朝日新聞の半面全広告で、北アルプスの三俣山荘から湯股温泉に抜ける「伊藤新道」が40年ぶりに開通したとの発表があった。本ホームページでも過去に触れてきたが(参照:トピックス(2022,1,7)北アルプス、伊藤新道、今昔)ついにその時がやって来たのだ。思い出の深い縦走路で、その開通を願っていた一人である。勿論、沢渡渉を含むハイレベルな縦走路なので、今の私には挑戦は厳しいが、元気のある人は歩いて欲しい。以下にその概要をネットでの記事により紹介する。
伊藤新道の紹介等(ネットより)
伊藤新道とはどんな道なのか
伊藤新道はかつて、⻑野県⼤町市から北アルプス最奥に位置する⿊部源流への最短ルートとして、また三俣⼭荘を建設するための歩荷道として開拓されました。然し湯俣川を遡⾏する道は、その「最短」という⾔葉には似つかわしくないほど変化に富んだ⾃然の様相を⾒せてくれます。美しいブルーの沢を歩けば⽕⼭に由来する噴気や野湯に匂いや熱気に包まれ、冷たい沢の流れを幾度も横切り、⾃然のダイナミズムが剥き出しとなった⾚茶の岩場を進み、原⽣の樹々の森へ⼊ると同時に槍ヶ岳や北鎌尾根を眺めながら鷲⽻岳の懐をトラバースして三俣⼭荘へと⾄ります。⼀⽅このように豊かな⾃然にはリスクも付き物。沢の渡渉は⽔が増えれば通⾏は困難になり、脆弱な岩は常に崩落のリスクを伴います。あくまで⼀般登⼭道ではないルートを歩くという準備や経験、あるいは天候や⽔量に応じた適切な判断⼒が必要になります。伊藤新道はそのように、⾃然のなかで魅⼒とリスクが⼀体となったダイナミズムを深く感じられる場所です。時代のなかで⼀時は地図から消えた道ですが、現在は「伊藤新道復活プロジェクト」として、特に通⾏が難しい場所への架橋やタラップ設置などを順次進めています。
公開開通期間
8⽉20⽇(日)〜10⽉末(湯俣川の⽔位が下がる頃〜三俣⼭荘の⼩屋閉めまでが⽬安)
※三俣⼭荘から展望台は7⽉下旬〜10⽉中旬まで
装備について
装備不⾜により⾏動不能になるケースが発⽣しています。通常登⼭装備に加えて、以下の装備が必須です。
・ヘルメット(落⽯や崩落など危険箇所多数のため)
・渡渉に必要な装備と防⽔対策
・エマージェンシーセット(怪我・天候不良等によるビバーク)
以上
2023年9月=南アルプス、赤石岳
南アルプス赤石山脈の盟主である。登山基地である椹島までの交通の便も比較的よく又、周辺の山小屋も完備されている。特に荒川三山~赤石岳~聖岳を4泊5日で歩くコースは、3000m級7座を踏破できる雲上の雄大な縦走路で人気があり、多くの登山者がつめかける。百名山を狙っていた頃、南アでは赤石岳だけが残っていた。普通赤石岳に登るには2泊3日が必要だが、当時廃道になっていた小渋川を遡行して途中の大聖寺平に合流するルートを使えば、日帰りも可能と判断した。このルートは北海道の幌尻岳の遡行に似て、十数回の渡渉を繰り換えした。単独で不安もあったが、早朝小渋川に入渓し赤石岳に登頂したのは当日午後2時頃、日帰りも可能であったが大事をとって、山頂直下の避難小屋で1泊した。
◎スーパーブルームーン(2023年8月31日)
満月が同じ月で2度見える現象は「ブルームーン」とも呼ばれている。約2.5年に一度しかない現象だが、実際に月が青く見えるわけではない。その年最大の満月と重なる「スーパーブルームーン」はさらに珍しい現象となり、この組み合わせは13年振りとの事。私が生きている間に再びみられるかどうか?カメラを向けたくなる。多少雲はあったが、何とか撮影することが出来た。
2023年10月=北アルプス、涸沢の紅葉
紅葉の名所は各地にあるが、涸沢の紅葉も素晴らしい。手前に色づいた木々、奥に白色の砂礫と草紅葉、奥に涸沢岳を中心にした穂高の稜線、もう少したつと峰々に雪が積もり白くなり、更に真っ青な空と見事なグラデーションを醸し出す。この時期の涸沢の山小屋の賑わいは大変で、畳一枚に2~3人位押し込まれる。勿論テント場も大繁盛で、各色のテントがぎっしり埋め尽くす。私も何回もここを訪れているが、涸沢を避けて稜線に泊るようにしている。昔話であるが、夏のある日ここでテントを張って宿泊したが夜半、台風の暴風雨に見舞われテントは水浸しになった。友達と下半身水につかりながら必死に水をかきだし、テントが飛ばされないよう寝ずに頑張った経験がある。
2023年11月=ヒマラヤ,アマダムラム
この時期はヒマラヤトレッキングの写真を掲載している。今回はエベレスト街道から綺麗に見え、その均整の取れた美しい山容から、シェルパ語で「真珠の首飾り」と呼ばれ親しまれている。この山の未踏の稜線の複数ルートは日本人登山家により征服されている。カラパタールのエベレストのビュウ―ポイントに行くには、この山を回り込んで更に進まなければならず、時間がかかる。この山は大規模なキャラバンは必要なく、岩壁や氷壁の技術があれば200万円近くで登頂できるツアーまで用意されている。このエベレスト街道にはトレッキングの為の宿も多くあり、現地の生活に触れながら旅を楽しむのも良い。
2023年12月=北アルプスのパノラマ写真
北アルプスのパノラマ写真を撮りに美ケ原に行った。この季節山頂部までは車で入る事が出来ないので、松本側の登山口より2時間程歩いて王ケ鼻まで行った。流石に北アルプスの展望台だけあって、頂上部には雪を戴いた名の知れた有名峰が並び素晴らしい景観である。上段右、北より白馬三山、五竜岳、鹿島槍ケ岳と続く。やはり北部の山々は積雪量が多く、中腹迄真っ白である。やや積雪量が減って爺ケ岳、針ノ木岳、蓮華岳、や裏銀座の山々で続く。下段右、右より裏銀座の平らな稜線、やや高い鷲羽岳が目立つ。更に手前には大天井岳、横に常念岳、奥に槍ケ岳~キレットを経て穂高連峰が続く。この絶景にうっとりと見とれ時間の経過を忘れとしまった。
2024年1月=八ケ岳,赤岳と阿弥陀岳
八ケ岳は首都圏からの交通の便に恵まれ、良く登った山域である。でも魅力は夏山より雪のある季節の方が勝っている。赤岳鉱泉から硫黄岳方面、行者小屋から赤岳や阿弥陀岳方面、青年小屋から編笠や権現岳、船山十字路から阿弥陀岳南稜等、雪山でしか味わえない魅力を含んだ体験ができる。特に印象に残っているのは正月の穂高岳を目指しての錬成で、文三郎登山道より派生する南稜リッジのアタックである。冬しか登れない急峻でしかもザイルの固定がままならない痩せ尾根を突き上げると、赤岳の山頂に飛び出す楽しい登攀が楽しめる。また阿弥陀岳南稜も雪の有無により難度は異なるがアタックすると楽しいルートである。
*2024年の年賀状
2024年2月=「袋田の滝」の氷瀑
「袋田の滝」は秋の紅葉シーズンには多くの観光客が訪れるが、冬は閑散としている。1980年代は今よりは寒く、2月になると滝は全面結氷した。この頃の2月の年中行事は、滝のある沢を訪れることが常であった。「袋田の滝」も最近は滝に入れないかもしれないが、当時は愛好者が詰めかけ、結構賑わっていた。私も山岳会の連中とこの滝の他「雲竜渓谷の大滝」や「沖箱根沢の滝」、八ケ岳の「ジョウゴ沢の大滝」などでアイスクライミングの真似事を楽しんだ。後年2月、袋田の滝を訪れたことがあったが、全面結氷は見られず部分的な氷のみでアイスクライミングが出来るような状態ではなった。やはり温暖化の影響が出ているのだろうか。
2024年3月=爺ケ岳から見た針ノ木岳~蓮華岳
雪を戴いた北アルプスは美しい。厳冬期はなかなか大変だが3月になると多少登り易くなる。しかし登山道が在るわけでなく、過去の体験を基に扇沢から爺ケ岳南尾根を目指して腰までのラッセルを強行した。尾根に出ると雪は多少なくなったが厳しさは続く。爺ケ岳山頂は1日で到達できない場所なので中腹でテントを張って泊まる。2日目は爺ケ岳を目指してアタック開始。森林限界を越え砂礫地帯になると、とワカンからアイゼンの世界である。天候にも恵まれ爺ケ岳頂上から見る、蓮華岳から針ノ木岳の峰々は神々しく見え、又右には純白の衣を着た、鹿島槍ケ岳の双耳峰が美しかった。
2024年4月=春の白馬岳
4月の白馬岳頂上宿舎付近から見た白馬岳である。勿論山小屋は閉鎖中で人影はない。静寂の中にたたずむ白馬岳の凛とした姿は素晴らしい。五月の表銀座単独縦走を経験してから、残雪期のバリエーションルートに興味を持つようになり、この年は白馬三山の杓子岳、杓子尾根に挑戦した。猿倉から尾根の末端に取りつき、長い杓子尾根をひたすら登る。厳しかったのは杓子岳最後の登りでピッケルを差し込んで強引に頂上に躍り出た。展望は後立山連峰の眺めが最高であった。そのまま稜線を進み、白馬岳頂上宿舎の近くでテントを張り翌日大雪渓を下った。
2024年月=難関の笈ケ岳
この頃300名山の完登に向けて追い込みの時期だった。北海道の厳しい山を除けば本州では、夏道が無く残雪期の僅かな時期しか登れない、限られた山との戦いであった。その最右翼の一角をなすのが写真の笈ケ岳で、石川県・富山県・岐阜県にまたがる。登山口から山容の見える稜線まで急坂の登山道を5時間、登りきるとはるか遠くに頂上が見え、疲れが倍増する。登山の時期が少し遅れたので、あちこちで笹のヤブコギがあった。通常途中1泊での登山の様だが、我々は荷物を軽くして日帰りで挑んだ。苦闘の末13時間かけて難敵を征服した。この時は登山口のある富山から、松戸の間を両夜行日帰りと言うハードな日程でこなした。
2024年6月=大雪山系、トムラウシ山
北海道、大雪山系南部に聳え大雪の奥座敷と称される奥深い山である。山に興味のある方は2009年7月に起き、8人の尊い命が奪われたトムラウシ遭難事故は記憶に新しい。登山ブームの中、高齢者ツアー登山に起こりがちな因子が重なり、事故は起きてしまった。改めて安全登山を心掛けたい。私もこの山には縦走ではなくピストンで数回登っているが、トムラウシ温泉から12時間以上かかり、大変な山である。最近は分からないが、当時沢沿いの道はぬかるんで、田んぼの中を歩いているようであった。でもトムラウシ温泉に浸かると疲れが取れる。又残雪期は登山道が不明瞭で難儀した。しかし頂上からの眺めは最高で大雪山系/十勝山系の山々が眼前に広がる。下の写真は十勝岳から見たトムラウシ山(奥)である。
※今日の話題※
令和6年6月6日、今日は小生にとって一生の内に二回目となるのぞろ目の誕生日である。過去の平成6年6月6日は30年前であり、あまり気にしていなかったが、今の年齢からして今後この珍事に遭遇することはまずないであろう。今日1日良い日でありますように!
2024年7月=湿原に咲くキンコウカ
東北に旅した際、湿原一杯に咲くキンコウカに見とれた。黄色い可憐な花をつけるが、咲き乱れると黄金の絨毯の様で見とれてしまう。深山では沢沿いに多く見かけるが、亜高山帯での群生は素晴らしい。名前は輝くような黄色の花からつけられたようだ。似たような花にオゼソウもあるが、こちらの方が華やかである。この花は高原の湿地帯でも見る事が出来、見る機会も多いのではなかろうか。高山帯ではここまで広い群生はなかなか見られないが、高原だからみられる風景だ。群生も見事だが、個々の花も黄色い星が瞬くようで線香花火を見ているようで綺麗である
2024年8月=北アルプス、剱岳
名の知れた山で、このようなアングルからの写真は見た人も多いと思う。谷川岳、穂高連峰と並んで、岩登りの殿堂としても知られており、多くのクライマーが訪れる。昔、誰かの力が働いて、3003mの標高の時代もあったが、今では2999mに変更されている。この山も春から夏にかけて一般ルートや簡単な岩壁ルートを何回か登っている。特に印象に残っているのが偶然、早月尾根経由と源次郎岩稜経由の剱岳登頂計画が重複。そこで計画を調整して、初日に馬場島から早月尾根より登頂し剱沢に下山。翌日剱沢から源次郎尾根より岩登りをして登頂、2日連続で剱岳山頂に立ったのは思い出深い。
2024年9月=北アルプス、鷲羽岳
北アルプスの最奥部の一角に聳える鷲羽岳は、周囲の稜線からは急峻に立ち上がり、見ただけで登る意欲を削がれるが、素晴らしくそして威厳のある山だ。しかし遠くには槍ケ岳の北鎌尾根、その手前に残雪期しか登れない硫黄尾根が横たわり、目の前に小さい火口湖(通称鷲羽の目)がある。鷲羽岳は三俣山荘から見るとその雄姿が美しい。この山の周辺は何回も通過しているが最も印象に残っているのが、鷲羽岳の中腹に作られたが今は廃道になっている、伊藤新道(中腹に微かに痕跡が残る)で湯股温泉まで続く。この道を作った伊藤さんは別項(トピックス=2022,1,7)で説明してあるが、通行できた数年の間に踏破できたことはラッキーであった。
2024年10月=飯豊連峰、杁差岳
あまり聞かない山名である。「えぶりさしだけ」と読む。場所は飯豊連峰の北端に位置し、日本200名山である。300名山を狙っている当時、どうしても登っておきたい山であった。一般的には飯豊山荘から登る。頂上近くには避難小屋があり、炊事用の水も豊富であるので助かった。最初の登りは、結構急でつかれる。しかし頂上からの眺めは抜群で飯豊連峰が綺麗に見渡せる。紅葉も始まっており、ナナカマドも綺麗であった。東北にはあまり馴染みは無いが心に残る山がいくつかある。
2024年11月=高鳥谷山より見た中央アルプス
中央アルプスの写真を撮るには伊那谷を挟んだ駒ケ根の山に登ればいい。その代表格が高鳥谷山で中央アルプスの展望台と言われている。結構急で、撮影機材を持ち上げるには少々きついが、中央アルプスの眺めは抜群で疲れは吹っ飛ぶ。中央アルプスは山塊自体は、南北アルプスに比べれば小さいが、左より仙涯嶺~南駒ケ岳~空木岳~檜尾岳~宝剣岳~木曽駒ケ岳等有名な山々が並ぶ。駒ケ岳から空木岳まで歩いてみると結構なアップダウンがあり驚かされる。特に木曽駒ケ岳から縦走した場合は空木岳の登りが結構きつくて大変である。
2024年12月北アルプス,涸沢岳登頂
正月の穂高連峰登頂は大きな夢であった。この稜線に到達するには夏道では雪崩の危険があり上高地側からは不可能である。そこで一般的には新穂高温泉側から入り、白出沢出合いの涸沢岳西尾根を詰め、蒲田富士経由で涸沢岳に達する「涸沢岳西尾根」が利用される。勿論夏道は無いが尾根筋の為危険は比較的少ない。計画してから本番に向け、12月の西黒尾根経由の谷川岳や、八ケ岳の南峰リッジのバリエーションルート等で錬成を重ね、本番に臨んだ。涸沢岳西尾根は急でラッセルに苦労した。途中でテントを張り翌日アタックに出たが、午後になり天候が悪化して奥穂高岳まで行けず、涸沢岳までで無念の涙を飲んだ。しかし厳しかったが極寒の穂高連峰の稜線に立てたことは一生の思い出である。