雪山山行は厳しさはある反面、条件の整った時の素晴らしさは形容しがたい。一度はまったらなかなか抜けることができない。初めて体験した雪山から、厳しかったけど忘れられない雪山山行を年代別にピックアップして掲載したいと思います。
●初めての雪山山行(1969,1)
初めて雪山に挑戦したのが、1969年2月で、中野市の里山、高社山でした。友達に連れられて、何の装備もなく長靴に筒状の布(今で言うスパッツ)を被せ、雪の侵入を防ぎました。リックは勿論キスリングです。
●北アルプス、槍ケ岳(1978,12)
雪山に味をしめ、地元の山岳会に入り、錬成を重ねました。当時「正月は山の上で過ごす」が当たり前で、今考えると女房子供には悪いことをしたな?と思っております。地元山岳会で妙高、戸隠の雪山を経験し、目指したのが北アルプスでした。そして、下見山行もしっかり行い、横尾尾根からの槍ケ岳へ。1978年12月29日から1月3日でした。この年、天候不順で上高地でも雨でした。悪天候でしたが、何とか登頂は果たしました。しかし大喰岳から中岳の稜線はアイスバーンになっておりアイゼンも十分に効かない状況。槍の穂先から槍沢に2人の滑落、稜線では後方からの登山者が斜面をまりのように転がって行く姿も見ました。我々は7人でしたが1人が50mほど滑落したが大事はなかった。横尾尾根のベースから10時間を超す行軍であった。厳しい雪山であったが、今考えると、充実した山行であった。
●南アルプス、甲斐駒ケ岳(1979,1)(1996,12)(2009,1)(2014,1)
南アルプスで比較的アプローチの近い山はあとは甲斐駒ケ岳くらいであろう。駒ケ岳神社から黒戸尾根を使えば1泊2日で登れそうだ。重い荷を担ぎ、5合目小屋を目指す。テント装備での黒戸尾根はつらい。途中から膝ラッセル。翌日は部分的に腰ラッセルもあったが、晴天に恵まれ頂上に立つことができた。勿論素晴らしい眺めを満喫することができた。
●南アルプス、北岳(1984,1)
続いては南アルプスの最高峰、北岳。正月はアプローチが閉ざされるため夜叉神峠から歩きだ。一旦、野呂川におり池山吊尾根の長い尾根道を登り、北岳を目指す。ボーコンの頭に最終テントを張り八本歯を詰めて頂上を目指した。雪は飛ばされ、氷と岩のミックスした急斜面を登る。頂上には他のパーティもおり、女性隊員は感激のあまり泣いていた。快晴で間ノ岳や塩見方面の山々甲斐駒や千丈がとてもきれいだった。
●厳冬期、富士山(1990,12)
今度は厳冬期の富士山を目指した。当時は5合目あたりで雪上訓練が盛んであった。一通り訓練したのち、頂上を目指した。登りは何とか稜線沿いにアタックできた。頂上からの眺めは抜群で流石日本一の名にふさわしい絶景であった。怖かったのが下りだった。稜線上は傾斜が強すぎてあきらめた。大雪渓をジグザグに下ったが、雪面は凍って青氷化しており、刺さるアイゼンの歯は僅かで、しかもピッケルも思うように刺さらない。慎重に、慎重に歩んだ記憶がある。これは山梨県側からの話で静岡県からも同時期登頂したが、あまり苦労した記憶がない。
●北アルプス、槍ケ岳(2000,12)
その後東京に転勤になり、新宿を拠点とする小さな山岳会に入る。そして気の合った仲間と今度は中崎尾根から槍ケ岳を目指す。1回目は1995年正月。しかしこの年は十年ぶりの大雪で3人ではとてもラッセルが間に合わず、奥丸山で撤退。2回目は2000年。同じルートで挑戦。大変なラッセルもなく中崎尾根から肩の小屋へ。荒天で穂先が見えず。でも夏に何回も登っておりルートをイメージしながら、鎖もない急斜面を出っ歯とピッケルで強引に登る。3人のうち1人は小屋でリタイア。帰りの西鎌尾根が厳しかった。青氷で急斜面。1歩誤れば地獄の底へ。滑落しないよう慎重に下る。何とか無事帰還した。天候はどうしようもない。
●北アルプス、穂高岳(2001,12)
仲間がいると挑戦は続く。翌年、奥穂高岳を目指そうとの計画が持ち上がる。今までの雪山と比べ、一段と厳しいと思われ錬成もしっかりやった。12月中、西黑尾根から谷川岳ラッセル訓練、八ケ岳南陵リッジから赤岳へのバリエーション、そして2000年12月29日から新穂高~白出沢出会~西尾根~蒲田富士経由でまず涸沢岳を目指した。西尾根は急峻で厳しいラッセルだった。アタック当日天気はまずまずだったが、蒲田富士を超え岩場を抜け、涸沢岳の稜線のを登るころになると吹雪と強風に見舞われた。残念ながら、奥穂高岳までは到達できなかったが、穂高連峰の厳しい自然の摂理を味わい、充実した雪山だった。
●南アルプス、聖岳(2008,12)
この頃は年末年始雪山に浸かっていた。南アルプスで比較的アプローチの短い名峰は聖岳であった。正月前後は下部は雪が少なく、便ケ島まで車が入れたので、随分助かった。しかし重い荷物とラッセルのため薊畑までは到達できず樹林帯にテントを張った。翌日軽装で、聖岳山頂を目指した。斜面の夏道は雪で閉ざされ、ほぼ直線で山頂を目指す。天気に恵まれ、赤石岳等の眺めは良かった。帰りは急斜面の部分はザイルの助けを借りた。
●北アルプス、霞沢岳(2010,1)
前年上高地経由で霞沢岳を目指したが、腰までラッセルで徳本小屋上部までしか到達できなかった。このルートだと少人数では不可能との結論に達し、夏道はないが大正池に張り出す霞沢岳西尾根に目を付けた。調べると入山者もありアタック可能との結論に達した。しかし、入山年には先行者がおらず、深いところは腰までラッセルを強いられた。また途中に岩稜帯があり、下りはザイルの助けを借りた。頂上付近は吹雪で見通しが悪い。帰りのために赤布竿を短間隔で刺す。頂上標識を掘り出し、写真を取るのが精いっぱいであった。帰り赤布竿の有難味を身に染みて感じた。
●北アルプス、鹿島槍ケ岳(1975.12)(1982,12)、(2010,1)
北アルプス鹿島槍ヶ岳は正月何回も登った山である。昔は正月の前、12月初旬頃下見山行をした。1982年の時は登頂まで果たし、シーズン2回頂上に立った。正月は鹿島スキー場より、夏道を辿り高千穂平にベースキャンプを張るのが一般的で周りには幾張ものテントがあった。ここから赤岩尾根をつめ、冷池小屋を通り鹿島槍ヶ岳に達した。稜線は風が強く、慎重な足さばきが必要であった。2010年の時は正月を外し4人で挑戦したが、胸までの豪雪に阻まれ、トレースがあれば1日工程の高千穂平まで、2日かけても到達できず退却した。北アルプス正月を外すと少人数では刃がたたない。
●常念岳(2011,11)
常念岳に槍、穂高連峰の写真を撮りに行った来た。11月末まで三股迄車で入れるので都合がよい。晴を予想しながら、山行日を決めなくてはならない。高気圧の張り出したこの日、絶好の撮影日和であった。いろんな写真を撮りまくった。槍穂高の荘厳で、凛とした風景に接し、身が引き締まる思いであった。
●笊ケ岳(2011,12)
南アルプスの展望台である笊ケ岳に登り、雪を被った南アルプスの全体像を眺めて見たくなった。夏にも登っているが、テント装備を持っての長い長い急坂は困難が予想されたが、尾根筋で泊まれる安心感もあった。幸いにも好天に恵まれ、素晴らしい眺望と、次の日モルゲンロートの南アルプスを眺められ大満足だ。ただ登山口には5mほどの川があり、靴を脱いで渡渉せねばならず大変だった。
●蝶ケ岳(2012,11)
初冬の蝶ケ岳に登ってきた。三股まで車で入れるぎりぎりの時間帯だ。しかし4人で深い雪のラッセルはペースが上がらない。当初、蝶ケ岳ヒュッテまでの予定が途中に樹林帯でテントを張った。次の日、軽装でラッセルを進め蝶ケ岳の稜線に達した。天気は晴れ。正面にドカンと穂高連峰が鎮座し、右手に槍ケ岳が見える。稜線奥には常念が聳えている。素晴らしい光景だ。至福の時間を手に入れた。
●谷川岳(2017,1)
冬の谷川岳には何回も登っているが、この年の谷川岳は印象深かった。熊穴沢小屋の近くにベースキャンプを張り、次の日一番でアタックを開始しした。天気は快晴で雲1つ無い。ただこの日は我々パーティが最初のアタッカーで膝下迄ある雪を4人で頂上まで交代でラッセルした。この日の初登頂で満ち足りた気分であった。アタックを終えて下り始めると、下から次から次と登山者が蟻の隊列のように繋がっている。登山道は踏み固めれ、何の苦も無く登ってくる。頭にくる。
●森吉、太平(2019,11)
秋田の森吉山と太平山に行ってきた。前夜雨だったので、もしやと思っていたら標高の高い森吉山はスキー場から上は白銀の世界だった。積雪は10cm程だったが、ガスで何も見えない登山道をひたすら頂上を目指した。誰もいない。あるのは獣の足跡ぐらい。頂上で写真を撮り早々に下山。この日の宿は太平山の麓の「きこりの宿」だったが、1泊2食付き7600円。刺身,天ぷら、鍋、その他10種ほどの小鉢付き。先週の五箇山では素泊まりで8700円、雲泥の差である。太平山は地元では人気のようで駐車場は車が一杯。山頂には立派な社があった。それにしても自家用車での秋田の山周遊は、四駆が必要であったにせよしんどかった。
●佐武流山(2019,11)
雪の佐武流山に行ってきた。夏でも10時間近くかかる難関の山に何故、この時期に。実はもっと早く計画していたが、台風等の影響のやり繰りで後伸ばしにされていた。来年に持ち越しのつもりでいたが、やはり佐武流を狙っていた山岳会の仲間と意気投合、雪山覚悟で挑戦した。信州の山はもう雪山、佐武流も登山口の林道から10cm 程の雪。頂上稜線では20cm近くあった。もちろん踏み後は皆無でスマホで位置確認しながら進む。下山時少し青空が見えたが頂上ではガス。結局、朝5時15分にヘッテンで出発し、帰着は16時50分で暗闇が迫っていた。